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大阪高等裁判所 平成4年(う)226号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人鍋島友三郎、同菅充行、同武村二三夫、同大水勇各作成の控訴趣意書及び弁護人鍋島友三郎作成の控訴趣意補充書各記載のとおりであり(同弁護人は、同補充書の第一項は陳述しないと述べた。)、これに対する答弁は、検察官松岡幾男作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一弁護人鍋島友三郎の控訴趣意、弁護人菅充行、同武村二三夫の各控訴趣意第一、同大水勇の控訴趣意一各法令適用の誤りの主張について

論旨は、被告人は出入国管理及び難民認定法(以下「入管難民認定法」という。)二条三号の二所定の難民に該当する者であるから、同法七〇条の二を適用して刑の免除をすべきであったのに、これをしなかった原判決には法令適用の誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで、各所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果及び弁論を参酌して検討する。

一  原判決が認定した罪となるべき事実は、「被告人は、中国に国籍を有する外国人であるが、有効な旅券又は船員手帳を所持しないで、平成三年一〇月一九日、中国青島港から中国船A号に乗船して出国し、同月二五日大阪市a区bc丁目d番所在の本邦大阪港第一突堤に上陸し、もって、不法に本邦に入国したものである。」というのである。この事実自体は被告人も認めて争わないところである。

そこで、まず、被告人の密入国後の経緯についてみる。関係証拠によると、以下のとおり認めることができる。「1」被告人は、平成三年一〇月二五日ころ、A号が大阪港第一突堤に接岸するや、夜になるのを待って上陸し、直ちに、予め用意していた姻戚関係の証拠とする写真等を持って、姻戚関係にあるという、大阪府八尾市内に居住するBのもとを尋ね、同夜のうちに、同女からの依頼で、その義弟で大阪市e区内に居住するC方に一時身を寄せた。「2」被告人は、Cに働き口のあっせん等を依頼し、同月二八日午後、同人に、大阪市f区内にあるDに案内され、同会会長Eと面談した。その際、被告人は、福建省gから来たF三二歳と詐称した上、日本に来て華僑のように成功したい等と述べたが、仕事のあっせんはしてもらえなかった。「3」大阪府生野警察署では、同月二八日ころ、Cの娘の通報により、警察官四人がC方を訪れ、被告人を同署に任意同行し、取り調べた後、原判示罪となるべき事実と同じ被疑事実で通常逮捕した。「4」被告人は、逮捕当初しばらくは、氏名・年齢をF三二歳と詐称し、中華民国台湾でみなし子として出生し、父方の叔母に育てられ、長じて、台湾の大きな都市で働き、本件当時はh市に居住していて、台湾から飛行機で適法に入国したもので、パスポートを同行の者が持ち去ってしまったなどと弁解し、捜査官から中国本土より密航して来たのではないかとの質問にも頑として否定していた。「5」被告人が、氏名・年齢等を起訴状記載のとおり述べたのは、一連の捜査官に対する供述調書でみると、同年一一月一二日の司法警察員に対する供述調書が最初である。なお、その調書において初めて被疑事実を認めている。原審では難民である旨の主張は一切されていない。「6」被告人は、平成四年二月一〇日原審で刑の執行を猶予する旨の判決を言渡されて勾留が失効し、身柄を大阪入国管理局に移された後の同年三月六日入国審査官に対して難民認定の申請をした(同年四月六日仮放免)。

これらの事実は、Dに出掛けた経緯の点は被告人が争うものの、その余の点は被告人も特に争っているとは思われず、他の客観的証拠とも符合して、明白である。

二  そこで、被告人の中国における経歴、職業、共産党除名の経緯、密入国の動機目的等について検討する。

1  まず、被告人は、その弁護人宛書簡(当審弁一、二及び六号証)、被告人作成の「難民に該当することを主張する陳述書」と題する書面(同八号証)のほか、その作成にかかる上申書写し(同一一号証)や当審公判廷において、大要、以下のとおり述べる(以上を一括して「当審公判供述等」ということがある。)。「1」被告人の経歴、職業等について、被告人は、中国のi市で生まれ育ち、文化大革命のため中学を中退し、一九六九年四月召集されて軍隊に入り、逝江省船山海軍基地で高射砲の砲手をしていた。一九七一年選抜されて陸海空の情報部員を養成するjのG学院で英語を習い、一九七四年同学院を卒業して、福建飛鸞海軍基地情報処に配属された。その後、技勤三大隊八四分隊において主として「偵聴」の仕事に従事していた。

「偵聴」という仕事は、台湾本土の艦隊の通信を聞き取る仕事であった。一九七五年共産党に入党した。一九八二年連級幹部の地位のまま、軍隊から福洲市馬尾港口公安局公安分局の外輪(外国船)偵察科に転職し、その半年後偵察科の副科長に就いた。一九八四年回公安局は馬尾区公安局と合併、福州市馬尾経済開発区公安局となった。その仕事は、ソ連を含めた外国船とか遠洋に行っていた中国籍の船の偵察で、具体的には上部からの資料に基づき船員名簿等に問題人物が居るかどうかをチェックすることをしていた。被告人が入港した船に乗り込むことはなかったが、上陸した外国船の船員と接触して飲食遊興を共にすることがあった。「2」被告人は、一九八四年五月か六月ころ、共産党を除名された。その理由は、除名を通知する書面によれば、生活上の態度などによる、というのであったが、実際は、職場の幹部と政治観や仕事のやり方が一致しないという理由によるものであった。除名を決めるために、武装警官によって隔離・監視され、数箇月に及ぶ審査を受けた。

捜査官に対する供述調書では、共産党を任意に脱退したようになっているが、そのような供述をしたことは記憶にない。党除名後は、後方勤務に左遷され、一年間食堂で臨時労働者と一緒に働かされ、思想を改造された。このようにして、いわば試験観察ともいうべき「留用」期間を経て、副科長から降格され、一般幹部として、公安局の元の職場に復帰した。復帰後は、中央の文書や内部の文書はもとより、一般の党員に連絡される政治文書も見られなくなった。一八〇元だった給料が二級下げられ、一六〇元となった。賞与も取り消された。福利厚生面でも差別待遇を受けた。職場で白眼視され、危険視されて冷遇を受けた。その結果、心身に非常な打撃を受けた。このような打撃・迫害のため、社会上の地位も名誉も奪われ、前途の希望も一切絶たれた。これに耐えられず、一九九一年九月二二日職場から飛び出して、出国した。

2  以上については、被告人が上申書等前示の書面や当審で述べるだけで、これを裏付ける客観的証拠は提出されていない。

しかし、被告人の密入国の動機、目的に関しては、被告人の当審公判供述と捜査段階及び原審公判供述とでは全く異なる。

まず、被告人は捜査段階において、専ら経済的理由によると供述していたのである。すなわち、「私は、日本に密航すれば、……一年で一〇万人民元が稼げるものと計算して、できるかぎり、警察等に捕まることなく、日本で働いて、金儲けする目的で日本に密航して来たのです。」(検二一号証、司法警察員に対する平成三年一一月一二日付け供述調書一〇項)、「私は今回、警察に捕まらなければ、多分、家族を捨ててでも、日本で住みつづけるか、予想外に金を儲げ《ママ》ることができれば、アメリカに移住するつもりでおりました。」(検二二号証、司法警察員に対する同月一四日付け供述調書二項)、「毛沢東時代にあっては、私達政府役人も働きがいを持って仕事をしてきましたが、しかし、現在の若者にあっては、これら思想教育学習をおこたる風潮があり、このような中国の社会がいやになったことや、私自身の仕事もおもしろくなくなったのが、日本に密航して来た動機であります。」(検二四号証、司法警察員に対する同月一五日付け供述調書二項)、「あくまで、私は金儲けが目的で、日本に密航して来ましたので、単なる密航者で、難民でも政治亡命でもありません。」(検二七号証、司法警察員に対する同月一六日付け供述調書七項)、「中国にいた時私は公安関係の仕事にたずさわっており近頃では貧富の差も激しくなり中国での生活が嫌になり日本で働こうと決意したのです。」(検二八号証、検察官に対する供述調書)とそれぞれ供述している。

次に、被告人は、原審公判(第二回)において、捜査段階で作成された供述調書については、いずれも全部、事実を述べ、読み聞かせてもらい間違いないので署名指印したものであると供述している上、原審弁護人から「生活が苦しいので、日本に来て中国の家族に仕送りをしょうと思って密入国したのですか。」との質問に対し「そうです。」と答え、裁判官からの「中国でのあなたの生活は、その国では比較的恵まれていたのではないですか。」との質問に対し「二〇数年働いているのに給料は全然上がらないで、物価はどんどん上がっているので、生活がやっていけないため、中国を離れ、お金を儲けようと思いました。」と答えているのである。

なお、被告人は、前出Cらに対し、難民に当たる事実を述べた形跡はなく、ただ就職のあっせんを依頼しているのみで、被告人をDに連れて行ったことで、Cと言い争いになり、同人に対し「俺を売る気か。」と言ったというのである(検二七号証、被告人の司法警察員に対する同月一六日付け供述調書六項)。また、同供述調書(前同項)によれば、前示(一の「2」)のとおり、D会長と面談した際にも、「日本に来て、華僑のように成功したいのです。」と述べ、会長から「……あなたが金儲けできるかどうか、単にあなたが、いつ、司法官憲に捕まるかにかかっている」と言われたというのであり、被告人から更に「私は、もともと、仕事を探しに日本に来ただけで、他になにも目的がありません。」と言った、というのである。

三  以上の事実や証拠の関係を踏まえ、本件の争点について考察する。

1  入管難民認定法七〇条の二所定の申出(以下「難民の申出」ともいう。)は、不法入国等の罪を犯した後、遅滞なく入国審査官の面前においてしなければならないところ、被告人の場合、その申出をしたのは、前示のとおり、平成四年三月二六日のことであって、本邦上陸後四箇月余りが経過している上、原判決の言渡後でもある。この被告人の申出について、検察官は遅滞なく行われたものではないと主張する。これに対して、菅及び武村両弁護人の所論(各第一の五)は、被告人が本邦上陸後四日にして逮捕され、原判決の言渡しを受けるまで捜査当局や大阪拘置所に身柄を拘束されていた上、大阪入国管理局に収容されるまで、難民認定申請などの手続があることを知らされていなかったもので、これを知って直ちにこの申出をしたものであるから、前同条にいう「遅滞なく」の要件は十分満たされている、と反論する。

そこで、検討するに、確かに、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)三一条一項が、不法入国等を理由に刑罰を科することができない手続上の要件の中で、難民が遅滞なく(Without delay)出頭し、かつ、不法に入国するなどしたことの理由を示すべき機関として「当局」(the authorities)と規定しているのに対し、これと同趣旨の規定である入管難民認定法七〇条の二が、申出を受けるべき機関を「入国審査官」に限定し、その面前ですることを要するとしていることにかんがみると、「遅滞なく」かどうかの判定に当たっては、司法手続により拘束されていた期間について慎重に扱うべきであって、かりそめにも申出をする者の立場を不当に害することがあってはならない。しかし、入管難民認定法七〇条の二は、難民認定の行政手続とは別に、不法入国等につき犯罪の成立自体は否定されないものの、これを理由とする科刑だけを免除する旨を定めた特別の規定であり、その要件として、難民であることのほか、同条の二第二号の事由を付加していることにかんがみると、その申出は、通常、逮捕されるまでないし捜査段階においてされるべきであり、そうでなくても、刑事裁判手続における一審判決の言渡しまでになされることを予定している、といわなければならない。また、その申出に当たっては、具体的手続や法律上の意味や効果を知った上で述べるまでの必要はなく、少なくとも、入管難民認定法七〇条の二第一ないし第三号所定の事項につきその基礎となる具体的な事実関係を申し出れば足りるといえる。したがって、たとえ、司法手続により身柄を拘束されていても、捜査機関や弁護人にその旨を申述して、申出の手掛かりを作るなり、入国審査官に対する申出の取次ぎを依頼することも可能であり、こうした機会のあることも無視することができない。もっとも、相当の日時が経過していても、やむを得ない事情があるときは、この点も考慮して「遅滞なく」かどうかを判定すべきものと解するのが相当である。

これを本件についてみると、前示のように、被告人の申出は、一審の判決後であり、相当の日時が経過していることは明白である。逮捕されるまでに、身内やDの会長に会い、申出の意向だけでも示す機会があり、同人らを通じてでも入国審査官のところへ出頭することもできたはずでありながら、そのような形跡はない。捜査官や拘置所職員、国選弁護人に対しても同様である。特に、当審取調べの、鍋島友三郎各作成の平成三年一二月二四日付け上申書(弁三号証)及び同四年一月八日付け書簡(弁四号証)、被告人作成の同年一月一〇日付け大阪弁護士会訴訟救助申請書(弁五号証)及び同年一月二〇日付け書簡(弁六号証)によれば、被告人は原審弁護人との間で、原審公判段階、それも第二回公判期日(同年一月一五日)の以前から、すでに第三国への亡命を考え、中国本国への強制送還を回避する方策を検討していたことが認められ、そのころになると原審弁護人を介して難民の申出の手続をとる機会があったものといえる。そして、平成四年二月一〇日、執行猶予付きの判決により勾留が失効し、身柄が大阪入国管理局に移されたことによって、申出がよりたやすくなったとみられるのに、その時点から更に申出に至るまで相当の日数が経過している。この点について、被告人は、当審公判において、「来日前日本に難民認定の手続があることは、詳しくは知らなかった。知っていたのは政治亡命だけである。」、「難民申請の方法は、入管局で調査官から教えられた。」旨(第四回公判)、また、警察官に対して、中国へ送り返さないでください、私の来日は政治亡命だからである、大阪領事館に知らせないてください、とお願いした旨(第三回公判)供述している。しかし、捜査段階において、被告人が台湾から来たFであると詐称していた時期は別として、被告人は、中華人民共和国から来たHである旨初めて供述した平成三年一一月一二日付け以降作成の供述調書において、中国に帰れば処罰が厳しいこと、日本で滞在ができるよう取り計らっていただきたいこと、それが無理なら中華人民共和国以外の国へ出国できるようにしていただきたいと考え、本当のことを話す気になった(検二一号証、司法警察員に対する一一月一二日付け供述調書、同旨のものとして、検二三号証、司法警察員に対する同月一四日付け供述調書)、中国では人民解放軍情報処と公安局に長年勤めていたため、厳罰に処せられるので、中国にだけは送還されないよう取り計らってください(検二七号証、司法警察員に対する同月一六日付け供述調書)、中国への強制送還だけはしないでください(検二八号証、検察官に対する同月一八日付け供述調書)などと供述し、また、日本から強制送還されたベトナム難民偽装の福建省出身者に言及しながら(検二三号証、司法警察員に対する同月一四日付け供述調書)、あくまで私は金儲けが目的で日本に来た密航者で、難民でも政治亡命者でもありませんと供述しているのであって(検二七号証、司法警察員に対する同月一六日付け供述調書)、被告人が政治亡命を求めたり、あるいは本国で迫害を受けていたため出国したとか、我が国に難民としての庇護を求める旨の供述も全くみられず、むしろ、これらを否定する供述をしているのである。さらに、被告人において、仮に原審段階で難民の申出の手続を知らなかったとしても、中国を出国した動機や理由については真実を話すことができたはずであるのに、この点に関し被告人が当審で述べたようなことは原審公判で供述しておらず、供述しなかった理由については、当審でも、ほとんど供述していない。また、被告人の当審公判供述によれば、被告人は、大阪拘置所に勾留されているとき、大阪のアメリカ領事館に手紙を出して、アメリカに亡命を希望し、また、原審国選弁護人の手配により、平成四年一月二三日アメリカ大使館員二名と面会し同様の希望を述べたというのであるところ(第四回公判)、その一週間前の一月一六日に実施された原審第二回公判期日において、被告人は、「中国に送還されると、中国政府は私を見逃さないと思います。」「今までの仕事はなくなるし、政治的な過ちを犯したので厳しく処罰されます。しかも、私は今まで公安局の仕事をしていたので、死刑になるかもしれません。」などと供述しながら、他方では、弁護人の「生活が苦しいので、日本に来てお金を儲けて中国の家族に仕送りしょうと思って密入国したのですか」との質問に対して、「はい、そうです。」と答えている。

以上のほか、被告人が、当審公判供述等において、前述のような経歴や職歴に加え、外国船員らと接触する機会があったし、英語にも通じ、密出国も以前から考えていたものである旨供述していること、後記説示のとおり、被告人につき入管難民認定法七〇条の二第一、二号の事由が認められないことなどを併せ考えると、被告人は、経済的理由から密出国して来日したものの、逮捕される羽目に陥り、公安関係の警察官として出入国管理の一部に関係していたことなどから、本国への強制送還と処罰を恐れ、第三国への亡命を希望して方策を講じたが、その実現が思わしくないとみて、ようやく難民の申出に至ったもので、申出に至るまで日時の経過を要したことが、申出の手続を知らなかったことに由来するものとは到底認められない。もとより、日時の経過につき、やむを得ない事情があったものとも思われない。そうすると、被告人については、少なくとも中国を不法に出国する以前に生じた事情を理由とするかぎり、本件の申出が入国審査官に対し遅滞なく行われたものとはいえない。

2  以上のとおり、被告人については、少なくとも中国を不法に出国する以前に生じた事情を理由とするかぎり、刑を免除するための手続上の要件に欠けているのであるが、この点の判断に影響するところもあるので、被告人が中国を不法に出国した後の事情のほか、出国する以前に生した事情を含め、なお、被告人が入管難民認定法七〇条の二所定の難民に該当するかどうかについて検討する。

ところで、同条にいう難民とは、入管難民認定法二条三号の二により、難民条約一条の規定又は難民の地位に関する議定書一条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう、と定義されており、結局、同条約一条A(2)所定の一九五一年一月一日の前後を問わないことから、人権・宗教・国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であることを要するといえる。

そこで、所論は、被告人について、その政治的意見又は特定の社会的集団の構成員であることを理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているとし、その具体的事情をして、更に以下のとおり主張する。

すなわち、被告人は、中国において、その思想的傾向や政治的意見が社会主義体制や中国共産党にとって好ましくないことのゆえに、一九八四年党を除名され、その後も職場で白眼視され、危険視され、冷遇され、何らかの口実で罪を着せられ不当な重刑に処せられるなど迫害のおそれを有していたばかりでなく、中国海軍の情報部や出入国管理を担当する警察官であったがゆえに、すなわち、こうした特定の社会的集団の構成員であったかゆえに、不法に出国をしたことがそれ自体職場規律の否定ないし任務違背、ひいては中国の政治体制に対する政治的意見の表明ないし著しい裏切り行為とみなされるから、中国に送還されれば、死刑を含む不相当な重罰が科せられ、あるいは不当に長い拘束処分を受けることは確実であり、このような出国後の事情による難民も「後発的難民」として難民該当性がより高くなるとともに、迫害の危険も高度となっている、などというのである。

しかし、被告人が中国を不法に出国した理由については、被告人が当審公判供述等において述べているだけであり、被告人側で本国領事館への通報を望まないこともあって、その裏付けとなる客観的証拠はなく、むしろ、前示認定のような被告人の本邦上陸後逮捕前における言動や、捜査段階ないし原審公判における供述に照らし、信用性には疑いが残るといわざるを得ない。また、たとえ、それがおおむね真実であるとしても、被告人において、社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、中国を不法に出国したとは認められない。すなわち、被告人の当審公判供述を含む関係証拠をつぶさに検討しても、被告人がどのような政治的意見を有していたのか、それが所論のように何故に中国の社会主義体制や中国共産党に好ましくないのか、そのこと自体必ずしも明らかとはいえない。

むしろ、中国共産党除名後の待遇低下等は除名に伴う降格を理由とする公算が大である上、その除名自体も、被告人の政治的意見を理由とするものではなく、被告人の勤務態度や生活上の態度を理由とするとみられるのである。このことは、被告人が、主として当審第三回公判において、「私の仕事は……外人偵察ですが、そこの副科長を担当しております関係上、外国の方と接触するチャンスが多くて、……例えばよく一緒にクラブに行って飲んだり遊んだり、そしてコーヒーを一緒に飲みに行ったりとか、お酒を飲んだりすることもあるんですが、そういった行為に対して、私の上司である局長は、あんまり好意的に思わなくって、そういう行為に対しての批判だということもありました。」、「私は仕事上……私服を来て、要するに、港の界隈をこうして仕事をしてたんですが、港へ入ってくる船は日本を含めてパナマとかソヴィエトとかそういう船も入って来るんですが、そこの船員の方は少し英語ができるという感じで、私のような者とはよく、……口をきいたりとかお互いに、私のほうからいろんな、ちょっと高級なクラブへ連れて行ったりとか、お酒を飲んだりするんですが、こういったことに関しては局長からは、……私の行為に対して批判したりして。たたどうして局長が……批判しなければいけないのか……私にはちょっと理解はできません。」、「外国の方とそういうふうに、……ちゃらちゃらして遊んだとか、酒飲みに行ったりすること自体が、生活上の態度がよくないということです。」などと供述していることからも看取することができる。被告人は、こうした外国人との接触は職務行為上必要であった旨供述しているが、上司の意向に反してまで行わなければならない理由は、被告人の供述からも明らかではない。そして、難民条約一条A(2)にいう「迫害」とは、同所定の理由により本国に在留し若しくは帰国することを不可能ならしめる程度の生命、身体又は身体の自由に対する脅威や人権に対する深刻な侵害をいうものと解されるところ、本件において、被告人が迫害を受け又は受けるおそれがあるとして述べるところは、中国を不法に出国する前の事情に関するかぎり、具体化しているとはいえ、おおむね所論の域を出ない上、中国共産党を除名されてから不法出国までにおよそ八年近く経過していることを併せ考えると、被告人につき難民条約一条A(2)所定の迫害を受けるおそれがあるとは認められない。

次に、いわゆる後発的難民に関する所論について検討するに、本国を不法に出国し、あるいは本邦入国後に難民の地位が生じる場合のあることを是認するとしても、入管難民認定法七〇条の二第二号によれば、同条所定の刑の免除については、犯人が難民であることのほか、被告人が密出国をする前の中国において、すでに、「その者の生命、身体又は身体の自由が難民条約第一条A(2)に規定する理由によつて害されるおそれのあった」ことを要するものと解されるところ、所論のいう後発的難民は本国を不法に出国した後に生じた事情に関するものであって、右二号の要件を充足するに至らないと思われる。また、被告人の供述する無断職場離脱や密出国行為の一部は中国領域内で生じたものであるが、被告人が中国へ送還された後、出入国管理を担当する公安警察官や中国共産党員であったことなどの故に、右の職場離脱や密出国行為の一部が処罰されることがあるとしても、それが右七〇条の二第二号の要件を充足させるとはいえない。

以上の点を含め、その他、被告人において、前示迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有していると認めさせるだけの証拠もない。論旨は理由がない。

y第二弁護人菅充行、同武村二三夫の各控訴趣意第二、同大水勇の控訴趣意第二 各量刑不当の主張について

各所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果も参酌して検討する。本件は、被告人が金儲けの目的でA号に乗船して大阪港第一突堤に上陸した、という事案であって、動機の点に格別しんしゃくすべき点は見当たらず、各所論指摘の点を十分考慮しても、被告人を懲役一年・三年間執行猶予に付した原判決の量刑(求刑懲役一年)は相当である。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用を負担させないことにつき刑訴法一八一条一項ただし書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小瀬保郎 裁判官 萩原昌三郎 裁判官 谷口彰)

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